大日本史料第五編之十を紐解くと、768頁に、嘉禎二年(1236年)七月二十五日、「幕府、石清水領讃岐本山荘地頭足立遠親を罷め、同職を宮寺に附す、」との記載があり、769頁まで、関係史料が掲載されている、その内、769頁に、讃岐国本山庄という記述が見受けられる。以下、冒頭頁と当該頁、二葉を掲載する。亦、古事類苑地部29讃岐国にも、同様の記述が見られるので、ご紹介申し上げる。
加えて、典拠となった吾妻鏡の当該箇所を引用する。
廿四日 己卯 南都騒動之間、在京人、并近國之
輩催具一族、可抽警衛忠之旨、被仰下先訖一類不
相從之由、近日自諸家、依其訴出來、向後大番以下、
如此役、早可相從一門家督之旨、今日重被定之圖
書左衛門尉、爲奉行、今日御移徙事、亦有其沙汰
廿五日 庚辰 石清水領、讃岐國本山庄、被止足
立木工助遠親知行地頭職、一圓被付宮寺 云云
八月大
三日 丁亥霽 戌刻、於新御所、被行鎮御祈大歳
神、泰貞朝臣、宅鎮晴賢大土公、晴茂、大將軍、宣賢、王相、國繼、井靈、廣賢、
廐鎮道氏、七十二星、西岳眞人鎮、忠尚朝臣、於里亭、勤
行之後、持參鎮物之處、以伊賀六郎右衛門尉、被仰
吾妻鏡には、慶長十年(1605年)官版活字本(全26冊)、慶長十年(1605年)富春堂活字本(全51冊)、寛永三年(1626年)整版本(全25冊)、寛文元年(1661年)整版本(全25冊)、寛文八年(1668年)仮名本(全52冊)等の古版本が知られている。本ブログへの紹介にあたっては、比較的保存状態の良い、寛文元年、野田庄右衛門が板行した「新刊吾妻鏡」を、テキストとして採用した。
大日本史料第五編之十
寛文元年(1661年)整版本 新刊吾妻鏡
寛文元年(1661年)整版本 新刊吾妻鏡
寛文元年(1661年)整版本 新刊吾妻鏡
補遺
寛文元年整版本新刊吾妻鏡の巻第三十二十一丁右頁に、足立木工助の名が記載されていることに気が付いた。以下、参考に供する。
合掌。
合掌。
四十一番 信濃民部大夫 同三郎左衛門
肥後四郎左衛門尉
四十二番 壹岐小三郎 足立木工助
壹岐三郎左衛門尉
四十三番 佐原太郎左衛門尉 下総十郎
伊賀次郎左衛門尉
四十四番 千葉八郎 相馬左衛門尉
大須賀左衛門次郎
四十五番内藤七郎左衛門尉、押垂三郎左衛門尉
春日部左衛門尉
四十六番 近江四郎左衛門尉 豐前大炊助
加治八郎左衛門尉
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