本山庄と天野民部烝遠景
大日本史料第四編之九を紐解くと、711頁に、承元一年(1207年)六月二日、「天野遠景、款状を執権北条義時に致して恩賞を望む」との記載があり、717頁まで、関係史料が掲載されている、その内、716頁に、讃州本山庄之内五分三という記述が見受けられる。
以下、冒頭頁と当該頁、二葉を掲載する。
合掌。
大日本史料第四編之九
大日本史料第四編之九
付記
山口県文書館が1967年に刊行した萩藩閥閲録第二巻を紐解くと、巻73中に、天野求馬の項がある。そこに、天野遠景のことが記されていた。
合掌。
天野民部烝(丞)遠景
始藤内 内舎人 左兵衛尉(左衛門尉)
後入道蓮景 従五位下 天野冠者
遠景、實後三条院第三之皇子輔仁親王之男従一位有仁親王、其子少将基仁、其子則遠景也、居住於伊豆國天野圧、號稱天野、後足立遠元為養子、而譲地頭職等、故改足立稱號、文治二年十二月十日自源頼朝卿為鎮西九國之奉行也
遠景所領之分
豆州天野庄狩野庄内牧郷、讃州本山庄之内五分三、讃
州蒲形庄、武州多摩郡吉富、越後州加地庄 巳上地頭職
豆州糠田庄、参州實飯 巳上公文職
上總州小野田郷 巳上惣公文職
武州足立郡 己上領主職
同州大畑名 已上地主職
右之内遠元譲与之分有之
貞應元年十二(七)月廿七日死
萩藩閥閲録第二巻
萩藩閥閲録第二巻
追記
天野遠景の墓と記した文章があることに気が付いた。
以下、添付する。合掌。
菊池正美著「著長岡温泉案内」
菊池正美著「著長岡温泉案内」
菊池正美著「著長岡温泉案内」
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