合掌。
是れを間きて、三浦、鎌倉、土肥次郎、岡崎、本間、渋谷、糟屋、松田、土屋、曾我の
人人、思ひ思ひに出立ちける程に、近國の侍聞き傅へ、「我も如何でか脱るべき、いざや参らん」とて、相撲國には大庭が舎弟三郎、俣野五郎、さこし十郎、山内瀧口太郎、同じく三郎、海老名源八、荻野五郎、駿河國には竹下孫八、合澤禰五郎、吉河、船越、入江の人人、伊豆國には北條四郎、同じく三郎、天野藤内、狩野藤五を始として、宗徒の人人五百人、伊豆の伊東へぞ参りける。
曾我物語(日本古典全集刊行会1929)
曾我物語(日本古典全集刊行会1929)
曾我物語(日本古典全集刊行会1929)
補遺
御橋悳言著作集三に収録された「曾我物語注解」では、以下のように記されている。優れた先達の学恩に心からの感謝を捧げる。
合掌。
これを間きて、三浦、鎌倉、土肥次郎、岡崎、本間、渋谷、糟屋、松田、土屋、曾我の
人々、思ひ思ひに出立ちける程に、近國の侍聞き傅へ、「我もいかでかのがるべき、いざや参らん」とて、相撲國には大庭が舎弟三郎、俣野五郎、さこし十郎、山内瀧口太郎、同三郎、海老名源八、荻野五郎、駿河國には竹下孫八、合澤禰五郎、吉河、船越、入江の人々、伊豆國には北條四郎、同三郎、天野藤内、狩野藤五を始として、宗徒の人々五百人、伊豆の伊東へぞ参りける。
天野藤内 天野藤内遠景を云ふ。藤原為憲九代の孫景光の子なり。景光伊豆國田方郡天野に住し、在名を以て氏號となし、内舎人となりて天野藤内と云ふ。遠景又内舎人となれり。
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